40代若年性の脳梗塞(ワレンベルグ症候群)っになった話。発症(急性期病院) | あおブログ

40代若年性の脳梗塞(ワレンベルグ症候群)っになった話。発症(急性期病院)

元気だったのに脳梗塞になる

42歳で脳梗塞になりました。

まさか自分が、という感じです。

家族にも脳梗塞になった人はおらず、私自身もリスクのある状態ではありませんでした。特別太っていたわけでもないし、血液の状態も検診では問題ありませんでした。ずっと風邪もひきにくいし、元気だったのです。

病院でも原因はわかりませんでした。ただ、「ストレスが要因かな?」とは言われました。

自分では、ストレスと思わずに仕事をしてきましたが、緊張している状態も長く、残業もして、身体にはストレスをかけていたと思います。

バリバリ仕事をしたかった。

家族にも協力してもらって、残業もして、一生懸命でした。

そんな中倒れました。

救急車で運ばれて

生まれて初めて救急車に乗りました。ずっと意識はありました。ただ、顔が痺れる、そして、救急車で注射をされて「チクっといしますよ」と言われたけれど、無感覚😔

「あれ?おかしいな」とは思いました。

意識もあるし、自分の身体に何がおきているのかわからない。深刻には考えられませんでした。

ただ、フラフラするような、貧血などで倒れる前のような、そんな状態ではありました。

受け答えは、できるし、笑顔でもいられる。

ただ病院について、ストレッチャーで運ばれるときに、気持ちが悪くなり吐きました。

何がおきているのかな?

病院について、とりあえず、いろいろ、濡れたもの、先の尖ったもの、などで刺激をされても、わかりませんでした。

濡れているもので拭かれても、乾いているもので拭かれているよう。

MRIもとりましたが、その時点では何も見つかっていないようでした。

意識はあるので、一週間くらいは病院かな?くらいに考えていました。

救命病棟で入院です。

トイレに行けない

トイレに行けませんでした。尿器をセットしてもらっても、出ない。長い時間がかかりました。

ただ、早く家に帰って、また仕事しなければ!と思っていたので、尿管カテーテルはしたくありませんでした。普通にトイレに行きたい。

そう思っていましたが、自分では起き上がれないし、動くと吐きそうだし、頭は痛いし、看護師さん達は忙しそうなのに、尿器をセットしてもらうと、ちょくちょく見にきてくれていました。

人にも面倒をかけるし、自分もゆっくり寝られるなら、仕方ないか。。。とカテーテルをお願いしました。

血圧計も酸素濃度計も繋がっていました。血圧計は、自動で1時間おきに異音を立てて計測が始まります。最初は、それにびっくりして起きていました。

2回目のMRIで病変がわかった

脳で病変が確認されました。延髄の脳梗塞です。血管の外まで出血はなく、積層されている血管の内壁の膜が剥がれた状態とのこと。若ければ高校生くらいでもなることもあるので、特別若いわけではない。原因は不明と言われました。

とにかく頭が痛い、ものも二重に見える

頭がとにかく痛かったです。鎮痛剤の服用間隔をいつも待っていました。

すごく頭が痛いので、氷枕もしてもらいました。頭痛が少し楽になります。左半分は冷たいこともわかりません。

またものも二重に見えます。もともとコンタクトレンズを使用していて、目は悪いです。

ボヤケテいる上に、部屋の壁の時計は、完全に2つに見えました。

のどが渇いた

翌日、喉が渇いたので、お見舞いに来ていた母と、姉にジュースを買ってきてと頼みました。一応看護師さんに聞いてみよう、と確認したら、

「嚥下に問題があるかもしれないから確認してから」と。

すぐに、飲み込みの確認に来てくれました。

嚥下に障害がありました。何も飲み込めません。唾液もです。

誤嚥は命を落とすこともあるとのことで、ナースステーションから見える部屋に移動です。

唾液は、ティッシュにとり、点滴で栄養をとりました。

リハビリ開始

リハビリに理学療法士さんや作業療法士さんが来てくれました。とても優しい。運動靴もなかったので、スリッパです。

それでもスリッパを履かせてくれました。理学療法士さんに「すみません」と言ったら、「最初はみんなお姫様です」と返してくれました。

素敵な言葉ですね。

血圧計等も外してもらって、

とりあえず、病室から出ます。点滴も尿管カテーテルも付いている状態です。

もう、恥ずかしいなんて言ってられません。頑張らなきゃ、2週間後の出張は行かないと、とそんなことを思っていました。

左側に引っ張られる感じがします。倒れそうです。こういう現象をラテロパルジョン(lateropulsion)というらしいです。

指で血圧のおおよそがわかるらしく、指で血圧をチェックしてくれます。

その後も、リハビリを重ねます。若いので、回復は早いと言われました。能力もとても高いと、褒めてくれます。褒め上手な療法士さんにおだてられて、リハビリはとても楽しかったです。

言語聴覚士さん

言語聴覚士さんもよく来てくれました。綿棒の大きいもの(先は指2本分くらい)に何か少し甘い液体をつけて凍らしたもので、口の中を撫でてくれます。口から飲み物を摂取できないので、とても気持ちいい。

下の運動、喉の運動、言葉がうまく出るように発声の練習など、訓練してくれます。

言葉は、ちょっと喉がしまって、かすれる感じはありましたが、人と話すには困りませんでした。看護師さんともたくさん話をしました。

口から飲食を取れないことが辛かったです。

パンや、マクドナルドのポテトが食べたかった。

鼻の管から栄養を

鼻に管を入れて、食事をすることになりました。

鼻から栄養を入れると、しばらくして気持ち悪くなって、吐いていました。なんだか胃が重たくなって、入ったものの匂いのようなものも感じて、口から摂取しないことで、気持ち悪さがありました。

鼻の管も早く抜きたい。

言語聴覚士の方が、よく飲み込みの検査も入れてくれました。そして、管で摂取している栄養を口から取れるなら、鼻の管を外していいということになり、検査の結果OKが出て、癖はあるものの自分で口から摂取できるようになりました。

とろみがないと摂取できない

サラサラのものはむせて、飲めません。口に入れるものは、すべてドロドロのものです。

甘い液体に飽きてきます。

転院する

トイレも手すりに捕まれば、自分で行けるようになり、管もすべて取れました。

二つ見えていたものは、少しずつ寄ってきて、一つに見えてきました。

歩くのも、1人で、フラフラしながらも、手すりにのあるところでは、転ばずに歩けました。

ここまでで二週間が経過していました。

リハビリのある病院に転院です。

少しゆっくり療養する必要があることも自覚しました。もう、焦りはありません。転院すれば子供達にも会えます。

急性期病院では、子供との面会も許されていませんでした。中学生以上でないと、病棟に入ってこれなかったからです。

まあ、ほとんど、たくさんの管がついている状態だったので、そんな姿を見せたくなかったので、よかったかもしれません。

ワレンベルグ(Wallenberg)症候群

私の病気は、ワレンベルグ症候群というものでした。脳梗塞が延髄に発生し、嚥下と、歩行、温痛覚障害がありました。

目は少しずつ二重に見えていたものが、重なり一つに見えるようになってきました。

それまで、急性期病院では、これまで時間に追われてきたのもあり、時間を持て余していました。

急性期病院でしていたこと

本を読む気力はなく(焦点が合わなかったり、気持ち悪さもあるし)、TVはつけていました。少し見ていると気が紛れました。有料なので、ちょっと気を使います。個室なので、その他にはあまり気を使わなかったですが。

とにかく、眠れる時は寝ていました。すぐ眠たくなります。

昼間に寝ているせいか、夜は、気持ち悪いし、頭も痛いし、でよく目が覚めてとても長く感じました。画面は光るので、よくイヤホンで落語を聞いていました。

頭が良くなるという噂を聞いたので、こんな機会にと。

結局二週間はあっという間に、過ぎて行きました。頭痛・吐き気・など日に日に楽になります。

早くこの時間が過ぎればいいのに、と思っていました。

普段話せない人たちとのコミュニケーション

看護師さん、理学療法士さん、言語聴覚士さん、いろんな人と話をしました。

それぞれに悩みがあったり、いろんなことを教えてもらったり、お話するのがとても楽しかったです。

みなさんとても優しく、ありがたかったです。

本当に辛い時に、助けてくださった皆さんには感謝です。すごい仕事だと思いました。誰にでもはできないです。

まとめ

脳梗塞とはいえ、早めに救急車で運ばれたこともあり、比較的軽く済んだようです。

最初に入った大部屋には、言語に障害の出た方もいました。たくさん単語を忘れてしまって、出てこないようでした。

言っていることが理解できずに、管を抜いて歩き回る人もいました。

私は、意識はしっかりしていたので、子供のことも認識できる。そのことが1番嬉しかったです。

子供の名前を忘れてしまうようなことがあっては、子供達に申し訳ない。また、子供の母として、向き合えることに感謝しました。

あとは、子供に会えるように1日も早く家に帰ることが目標です。

リハビリ病院での第二幕が始まります。

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